NATO の教訓
著 : グレンコ・アンドリー
from: TOPPOINT 2022 年 8 月号
世界で唯一長期的な地域平和を実現した成功例が NATO (北大西洋条約機構)
NATO 加盟国の本土は 70 年間、一度も武力攻撃を受けていない
第二次世界大戦後、世界平和を維持するために国際連合 (国連) が作られたが、国連の力だけでは不足していた
ソ連に占領された東欧諸国は社会主義体制を強いられた
1948 年のソ連によるベルリン封鎖などの敵対行為に対して、西欧諸国は新しい集団安全保障と集団防衛の仕組みを検討
1948 年にイギリス、フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクがブリュッセル条約を締結
その後、北大西洋条約の作成作業が始まり、1949 年に 12 ヶ国が署名し、NATO が発足
ソ連は NATO に対して、国連憲章違反として猛反発
ソ連は NATO に対抗して東欧の衛星国と一緒にワルシャワ条約機構を結成
NATO の抑止力は、北大西洋条約の第 5 条と第 6 条に基づく
初期の NATO の防衛戦略は 「盾と剣」
盾は NATO の陸軍と空軍
剣は、核兵器を搭載可能なアメリカの戦略爆撃機
加盟国同士の不満と不信の防止のため、NATO における決定は全会一致の仕組み
1970 年代はデタント (緊張緩和) の時代 : 東西関係が一時的に改善
この時代も、NATO は軍縮を行わなかった (抑止力としての軍事力が必要と判断)
デタントの時代はソ連のアフガニスタン侵攻で終了
デタントの失敗の教訓 : 西側諸国は 「ソ連も敵対より共存がお互いのためになると判断する」 と考えていたが、根本的に価値観が違うために、いずれは衝突せざるを得ない
覇権を目指す独裁共産主義体制は、自由や人権尊重の価値観とは相容れない
デタントの失敗にもかかわらず、NATO は再び宥和政策をとり、同じ失敗をしている
「宥和政策は独裁国を増長させ、状況がより悪化する」
1980 年代、レーガン大統領とサッチャー首相は NATO 加盟国を結束させて、ソ連を追い込むことに成功
ワルシャワ条約機構の解体、東欧解放、ソ連崩壊がヨーロッパの安全保障環境を一変させた
NATO の価値観を共有できれば、東ヨーロッパ諸国の加盟も認めるように
ロシアは当然反発
ロシアは勢力圏でしか国際政治を考えられないし、小国の主権を尊重しないので、NATO 加盟国の増加自体を敵対行為として認識
NATO が初めて武力紛争の解決に取り組んだのはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 (1992 ~ 1995 年) のとき
バルト三国は NATO に守られている例
ウクライナとジョージアは NATO 非加盟で、ロシアに侵略された
NATO は国連よりもはるかに機能している
国連はほとんど機能していない
国連には世界の殆どの国が加盟しております、価値観の違いが内包されている
国連安全保障理事会では常任理事国が拒否権を持ち、中国とロシアも常任理事国
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